がっこうたんけんx

異文化体験友の会

究極の海外旅行!?

開演ベルが鳴る前に
1988年・中国自由旅行のひとこま

高橋 豊

上海雑伎団、というサーカスチームがある。日本を発つ前から、人間離れした演技とパンダの曲芸で有名な彼らを間近でぜひ見たいと思っていた。
 けれど、見たいと思っても、簡単に見ることができないのが自由旅行のつらいところ。雑伎場は地図で何とか見当をつけることはできたが、問題はチケットの入手方法だった。

 手元の情報誌には、
「当日券を正規のルートで手に入れることは不可能」
と書かれている。つまり、たとえ雑伎場にたどり着いても、その後には考えただけでため息が出てしまうダフ屋との交渉が待っているのである。
 けれど、他によい方法の思いつかない我々は、結局チケットを手に入れるため、ぎゅーぎゅー詰めのトローリーバスに乗って開演2時間前に雑伎場前に到着したのだった。

 

 「どこに、ダフ屋はいるのだろう。」
「そもそも中国のダフ屋って、一般の人とどうやって見分けるのだろう。」
 バスの中で我々はそんな心配していたのだが、バスを降りて雑伎場に近づくにつれ、疑問は氷解した。我々が探すより前に、ダフ屋の皆さんの方が、こちらに近づいてきてくれたからである。日本の野球場などで見られるダフ屋とくらべると、ずっと若い。
 彼らは、片言の英語で口々に話しかけてきた。
「こんにちは。雑伎団チケット、ソールドアウト。わたしチケット持ってる。4区、25元、OK?」 
 うーん、ぼられている。
 座席は1区から5区までに分かれていて、1区は一階の正面。4区なんかだと、二階の、それも裏側の席になってしまう。
 席自体の位置も問題だが、それより気に入らないのが価格だ。仮に正規に1区の切符を手に入れることができたら、たったの5元なのである。言い値でこのダフ屋からチケットを買ったら、日頃から一生懸命練習を積んで命がけの演技を見せてくれる雑伎団の人々にはたった5元しか払わず、チョロッと出てきたガキンチョの懐には20元が転がり込むことになってしまう。
 25元といえば、当時約900円。900円ですごいサーカスが見られるんだから、せこいこと言うなよ、と思われるかもしれないが、そんな考え方を始めると、結局中国の人々の生活感覚とかけ離れた大名旅行になってしまうのである。ここは断じて許しがたい。我々は自分の足と頭を使って旅をする、誇り高き自由旅行者なのである。それに、金もない。
 欲しいというこちらの気持ちを見透かして、ダフ屋の兄ちゃんはかなり高圧的な態度を取り始めた。そして、このチケットを手に入れるため彼がいかに苦労したかを説明しだした。値打ちをつけているわけである。
 珍妙な英語に適当に相づちを打ちながら、かまわず我々は大阪弁で相談を始めた。
「どないする?負けてくれへんで。」
「まだ開演までだいぶ時間があるから、開演直前まで待って、もう一度交渉してみましょか。彼らだって、切符が売れ残ったら元も子もなくなってしまうんやろうし。」
 というわけで、交渉は持久戦にもつれ込んだのである。

 

 不思議なものである。雑伎場前の広場にへたり込んでパンをかじり出すと、それまでダフ屋の顔しか見えていなかったのに、周りの旅行者や景色などがよく見えるようになってきた。
 僕らと同じようにダフ屋と交渉している白人もいる。その向こうには、ダフ屋が寄ってきてもすでに手に入れたチケットを見せ、相手にしないでコーラを飲んでいる白人の3人組も見える。
 ぼんやりながめているうちに、僕はその3人組がどうやってチケットを手に入れたのかがすごく気になってきた。ひょっとしたら、何かいいことを知っているかもしれない。ま、だめでもともと、と思いながら、彼らにチケットの入手方法を聞いてみることにした。
 「あのう、日本から来た旅行者なんですが、チケットが手に入らず困っているんです。ダフ屋の方々は、もうチケットがないと言ってるんですが…」
 あなた方は、どこでチケットを手に入れたのですか、と続けようとしたのだが、言い終わる前に、僕の話を聞いていた巻き毛の白人は、持っていたコーラを落とさんばかりにして、えらい早口でまくし立て始めた。
「最悪だなそりゃ!おまえ、裏の券売り場へ行ったのか?行ってない?やっぱりな。よし、案内してやるからついてきなよ。金はあるか?本当に最悪だったなあ。俺たちだって、最初はあきらめかけてたのさ。とにかく、彼らを信用しちゃだめだぜ。この裏に事務所があって、券はここで買えるっていうわけさ。ここだよ。いい席があるぜ。じゃあな。」
 何がなんだかよく分からないうちに、3枚のチケットが手に入った。座席番号は、と見ると、なんと1区の、しかも一番前の席!
 手を伸ばせば、パンダにふれる、象に踏まれる、空中ブランコのお姉さんにタッチできる、そんなすばらしい席の券を手に入れてしまったのだった。

 

教訓。情報誌など信用せず、ともかく当たってみること。自由旅行を楽しむには、これを忘れちゃあいけない。


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