本校における国語の目標は、「言語を学習する過程を通じて、自分を大切に他者を思いやれる人間を育てる」ことにあります。
つまり、「聞く」「話す」「読む」「書く」という学習を通じて、自分のことを理解し表現するということが、個性を確立するということであり、この世に唯一の存在である自分を大切にするということにつながっていきます。
また、「聞く」「話す」「読む」「書く」という学習を通じて、自分以外の存在を理解し受け止めようとすることは、個性を尊重するということであり、他者を認め思いやるということにつながっていきます。
我々が国語教育で目指す人間像は「自分を大切にできる人間」であり、「他者を思いやれる人間」です。
「自分を大切にでき、他者を思いやれる態度」が根付くと、心地よい安心感が生まれます。そして、自分に自信ができ、他者とのコミュニケーションも念頭におきながら能動的に活動できるようになります。つまり「主体的に生きる力」を持てるようになります。
我々は国語だけではなく、あらゆる場面で工夫を凝らし、子どもたちが主体性を持った大人に育っていくことを願っています。
おもしろくて、クラス中のみんなが夢中になっている「因数カード」ゲーム。
算数の時間に習ったから、きっと算数なんだろう。
でも、ぼくらにとっては楽しい遊び。
早く続きをやりたいな。そうだ、休み時間にみんなでやろうよ。
数学的な思考。それを下支えしているのは、算数の授業で学ぶことがらだけではなく、普段の生活や遊びの中で知らない間に体験している、数学的要素を含んださまざまな活動も深く関わっているのではないでしょうか。
「土台の算数」と名付けた研究を通じて、われわれは子どもたちが思わずのめり込んでしまうような、さまざまなゲームや教具を開発、改良しています。考案したゲームは、授業はもちろん、休み時間の遊び道具にまで幅広く校内で利用されています。ゲームに熱中することで、知らないうちに算数活動を数多く体験し、主体的に算数課題に取り組む態度を育もうとしています。
なるほど。そんな考え方ができるのか。
よし、僕はキミの意見で予想変更だ。
予想通りになるか、それとも予想が外れるか。実験が楽しみだね。
「大昔からこれまでの科学者がたどってきた発見、発明の道筋を、子ども一人一人が追体験する。」それが、四條畷学園小学校の科学の柱です。
実験や自然の観察というのは、それ自体が楽しいものです。でも、それぞれの実験や観察が筋道立ってつながっていて、実験を続けていくうちに、それがいつしか科学の大法則や自然界の決まりを見つけることにつながっていくなら、子どもたちはもっと深い興味を持つはずです。この考えをもとに、四條畷学園小学校の科学実験は、実験が次の実験の考えるヒントになるよう、綿密に順序立てられています。
授業中は、子どもたち一人一人がガリレオであり、アリストテレスです。一枚ずつ配られるプリントに書かれた問題の結果を予想しながら、友達と討論し、意見を戦わし、実験で決着をつけていきます。そして、このプロセスをくり返すうちに、子どもたちは自然の中にある大法則を発見したり、人類が長年工夫して作り上げた道具を発明したりします。大人にとっては当たり前に思えることでも、子どもたちには、自分で見つけた、人生ではじめて出会う本当の発明、発見です。
四條畷学園小学校を巣立っていく子どもたちは、やがて何事においても「どうなるか、予想しよう。自由に意見を戦わせ、友達の意見に耳を傾けよう。事実によって決着をつけよう。」とする3つの姿勢を身につけます。この姿勢こそが「ものごとを科学的に考える」ということ、そのものなのです。われわれは、授業を通して、理科的な知識を子どもに植え付けるだけでなく、科学的に物事を考える子どもになってほしい、と願っています。
そうか。「生きるためにどれだけ新しいことを思いつき、工夫を重ねたのか」とか、「生きるためにどれだけ助け合っているのか」といったことをものさしにしたら、むかしの人々や別の地域に暮らす人々も、私たちと何もかわらない。
私たちはみんな、同じようにがんばっている「人間」なんだ。
知恵を絞って力を合わせて、今よりもっと生活をよくしようとする努力。
人々が絶えることなく続けてきたこの努力は、土や石、動物の骨や樹皮などを材料とし、火で燃やすという化学変化しか知らなかった太古の人々も、コンピュータやナノテクノロジーを駆使するわれわれ現代人も、なんら変わりはありません。
また、世界中で暮らす現代人の努力を比較した場合も、置かれている環境の差異があるだけで、その努力の本質は変わりません。
辺境とよばれる地域に暮らす人々も、インターネットに代表される情報社会の恩恵を有利な形で手に入れることのできる国の一つ、日本の都市部に暮らすわれわれも、めざしているもの、つまり「今よりもっと生活をよくしようとする」願いは同じなのです。
われわれは、社会科の入門期にある子どもたちにまず、この「人類の努力の普遍性」に気づいてほしいと願っています。そして、その考えをつねに意識しながら、新しい知識を駆使し、他を受け入れながら正しい社会的価値判断を下していける大人に育ってほしいと願っています。